2023/11/10 11:04

約1年半前に自分のインスタに投稿した駄文。
下記は全て2022年1月に起きたことである。

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先々週末に立川の楽器屋さんにふらり入店。
生後10ヶ月(標準よりも大きめ)の我が子を抱きながら陳列されたギターを何気なく見ていると、突然脳天にビリリ。
巨匠・甲本ヒロト氏の言葉に倣うならば"一発目の弾丸は眼球に命中、頭蓋骨を飛び越えて 僕の胸に"の瞬間である。
そこには約10年前の上京以来、地味に探していたアクリル製透明ギターがしれっと置かれていたのだ。


一瞬何が起こっているのかわからなくなった。花の都・御茶ノ水でさえ見かけたことがない代物が何故こんな場末の楽器屋に!


状況の把握に数秒かかった。
そして「これは運命だ。買うしかない」と思い立ち値札を見たのも束の間、"小遣い制"という名の悪魔が私の肩に手を回す。  
格差社会が産んだ悪魔"小遣い制 "が潜めく我が家。(遡るは4年前、私は小遣い制という悪魔に魂を売った。しかし妻の勧めではなく、自ら進んで魂を売ったのであった!)
就いては、恥ずかしながら財布に千円以上入っていることが滅多にない。
銀行口座にお金がないことはないが、恐らくそこら辺でアルバイトしている高校生の口座残高の方が多いであろう。
更に一端のバンドマン気取りな私は近々音源のプレス等を控えており、しばらく節約を誓ったのは今月頭の事。


頭を抱えた。4年前、自ら進んで悪魔に魂など売るのではなかった。いや、そもそも大学卒業後にフリーターしながらぷらぷらせずにきちんと就活をしておけば良かった。嗚呼、不甲斐ない。31歳現在、安月給で腰弁当な自分に腹が立った。更に頭の中は混沌。自らを責めるに留まらず、しまいには猛烈に高価な訳でもない絶妙な値付けをした楽器屋に苛立ちさえ覚え始める始末。
怯んだ私は店員の目を盗み、そのギターを1枚の写真に納め、逃げるかのように退散したのだった。


しかしそれから私は煩悶とした1週間を過ごすこととなる。
あんなやつ忘れてしまえ、私のような安月給が手の出るような代物ではない、そう思いつつも、気が付くとあの日撮った写真をついつい見ながら想いを馳せてしまう私はまるで浪漫派三文小説の主人公のよう。


そんな悶々としていたある日、逆転の発想を閃く。

実際に弾いてみて音や状態が悪ければ綺麗さっぱり諦められるに違いない」

嗚呼、恋は盲目とは良く言ったもので、今思えば自ら渦の中へ身を投じているとしか思えないこの発想。
しかしこれを天才的な考えだと本気で思っていたのだから手の施しようがない。すぐさま楽器屋に在庫確認と試奏予約の電話をしたのであった。

後日、きっぱりとお別れを告げる為に楽器屋を再訪。この日は10ヶ月の子を妻に託した。男一匹裸一貫とは正にこのこと。 
そうしてこの1週間私を虜にしたギターと再会。値札が裏側になっていることに一瞬優越感を抱きつつ、運命の試奏へ。

世の中上手くできている。資本主義における経済格差の拡大だってそう。
実際に弾いてみて音や状態が悪ければ綺麗さっぱり諦められるに違いない」
そんな都合の良いことはある訳がない。

アクリル製が故ギター全体の重さはあるものの、ネックは想像よりも細めでボディは小さく弾きやすい。何よりも音だ。我が愛機ES-335とは違った、意外と渋く乾いた音は私好み。
そう、音も状態も完璧であった!

一体どうすれば良いのだ、諦め切れないではないか!私は焦り、またもや怯んだ。
そうだ、いっそのこと店員の目を盗み、お金を払わずギターを抱えて我が家の方面へ走って逃げようか。いや、しかし私には妻それに子が2人と守るべきものがある。
そもそもの話、私は驚異的に足が遅い。
運動会の徒競走では常にビリ、50m走で10秒を切った記憶がない。逃げたところで店のそばで即刻確保されるのが関の山である。

こんな想像をしている間に徐々に息苦しくなってきた。そう、あの"小遣い制"という名の悪魔がまたもや私の肩に手を回し、徐々に首を締め始めたのだ。
嗚呼、苦しい、苦しい!畜生、小遣い制なんて!私は力を振り絞り悪魔の手を払い退けた。

そこで私の記憶は途切れた。

気が付くとソフトギターケースを片手に立川の街を歩いていた。反対の手にはクレジットカード払いの明細を握り締めて。

そうして今、自宅の私の部屋(4畳半の物置)には愛機ES-335と透明のアクリルギターが並んでいる。

私は小遣いが殆どなくなった。萩原朔太郎風に言うならば「鴉のやうに零落して靴も運命もすり切れちやつた」状態である。
しかし後悔はしていない。むしろとても清々しく澄んだ気分である。なんせあの悪魔に打ち勝ったのだ。
巨匠・真島昌利は歌った、「なんだかんだ気分次第、自由になら一秒でなれる」と。
未だ"小遣い制"という悪魔の管理下でありながらも私は自由を手に入れたのだ。

私が悪魔に打ち勝ったあの日、ギターを片手に帰宅した私に向かって妻は言った。
「そのギターってどこがかっこいいの?」

そう、1968年だか69年のキース・リチャーズ、ロン・ウッド、中山加奈子氏等を知らない人から見たらただの面白ギターである。
しかし有頂天な私に取ってそんなことはどうでも良かった。既に気分はキースであり、ロニーであり、中山加奈子氏なのだから。

背後に"カード請求"という新たな悪魔が近付いてきていることにも気が付かず。

「現代版・巨匠とマルガリータ」
〜完〜

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ちなみに今年の3月にも全く同じような経験をした、しかも名古屋で。(Epiphoneの真っ赤なCasino)
わたしは1年に1回のペースで悪魔に魂を売っているらしい。

きづく